旧東海道 有松絞の古民家と日本庭園を見る
国の登録有形文化財の特別公開がありましたので見学に行きました。
この地区は現在有松街並み保存地区として指定されています。この地区とは名鉄名古屋本線の線路を挟んだ向かい側で生まれ育ちましたので、付近は毎日友達と走り回っていた思い出深い場所ばかりです。
有松の歴史を紐解きますと、開村は慶長13年(1608年)当時の尾張藩の命により知多の阿久比村から数件の商家が移住してきた事に始まります。当時東海道と言えば日本の大動脈で今でいえば国道1号線と言ったところです。当時鳴海宿までのこの付近は「追いはぎ」が出るなど、今からは想像もできない位危険なところだったと言います。そこで尾張藩が治安維持と鳴海宿の補完的意味合いもかねて命じたようです。
街道を挟んで向かい合わせに大きな間口の古民家が残っているのは全国的にも珍しいと言われています。
当時、旅の土産物として大変喜ばれ全国へ持ち帰られていったと伝えられています。
写真の梁は何と1本の木で一切継ぎがないそうです。松の木は杉や桧に比べて強靭なのでこうした古民家の梁には良く見る事ができます。しかしここまで長い1本ものは見たことがありません。全国的に見ても大変貴重な材という事です。ご覧の様に松は風雨に耐えるためにぐにゃぐにゃと曲がっているのですが、この松は片方向しか反りが無かったのでこうして1本で使えたのでしょうね。解説の先生曰く、「おそらく産地から運んだというよりも、この地にあったのではないか?」という事です。確かに有松ですからね。きっとそうなのだろうと思いました。
庭園も素晴らしい物でした。当時の繁栄が偲ばれます。
こちらは中濵家の庭園です。現在の所有者ご当主中濵豊氏によれば、昔の大得意様は街道とは反対の庭に面する東門から入り、木戸門を抜け池を渡って茶室に案内をし、そこで商談をしたそうです。何と優雅な。今でいう百貨店の外商ですね。それも大口のお客様。10年くらい前にフランスに行った時、知人の現地ホテルレセプションから「エルメスに買い物に行くなら特別な部屋でショッピングできますよ。ご紹介しておきましょうか?」と言われました。「特別」の2文字に弱い私はグラッと心が揺れましたが、さすがにそれはビビッて丁重にお断りしました。あんなところでシャンパン飲みながらファッションショーでもやられたら買わずに出るなんてことあり得ません。そこまでずうずうしく社会見学はできませんでした。
おっと横道ですね。
話を戻して。この街並みのどこの商家にも庭に果樹が植っているそうです。そこでは縁起を担いだものが植えられました。柿木は「かきいれ」を。花梨は表(街道に面する店頭)は貸しを作る所。裏(庭)は借りん。栗は「やりくり」。そしてなぜかシュロが1本どこの商家にもあるそうです。たぶん真っ直ぐに上に伸びていく様から縁起をかついだのでは?とのお話でした。
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