シックハウス問題は終ったか?
シックハウス問題は、一般的に住宅という箱物の問題と捉えられています。
しかしそれは住宅を供給する側の見方であって、本来は住まい手の健康問題・人生問題という、より重大な面を併せ持った社会問題として捉えなければなりません。
これまでの相談事例のうち、追跡可能で深刻なケースをいくつか見てみますと
「周囲の無理解」
「コミュニケーション不足による相互の誤解」等により、
その後において決定的に解決の糸口をなくしてしまう事が見受けられます。
例えば、数年にわたって公共賃貸住宅を渡り歩き、その都度体調を崩す原因をシックハウスに求める方。
管理者サイドとしてはあきらかなクレーマーという認識に立ちます。
一方相談者は、一向に改善されない対応に管理者から嫌がらせを受けているとの疑心暗鬼になり、被害者意識が一層醸成されていきます。両者の間に立って、それぞれの言い分や対応など丁寧に話を聞いていくと、決して解決できないとは思いません。お互いが認め合って、譲り合って共通の目的を持って進めば解決すると思います。しかし、一度こじれた話の糸口を見つける事は困難を極めます。
別のケースでは、身内への不信からどんどん話がエスカレートし、今や命が狙われているとして、防犯カメラによる監視計画を進めています。ここまで来てしまってはもう間に入ってどうこうというのは難しくなってしまいます。
いずれも相談の初期段階で、お互いの言い分をしっかりと受け止めて、理解を即す働きかけが十分でない事が最大の原因と考えられます。
拙著「シックハウスでもう泣かない!」で書きました自殺幇助事件。その当事者の方は「周囲の無理解」が原因の根本にある事を強調されています。
こうした非常に厳しい状況とは反対に、絶望の淵に立たされながらも、周囲の理解と協力で、冷静に事実を受けとめて少しずつ困難を乗り越えようと努力される方もいらっしゃいます。
この違いは何でしょうか?
それはやはり「希望」だと思うのです。
人が困難の中で「希望」を見出すには、この理解者の存在がとても大きいのではないかと思うのです。
そして、私はアドバイザーの真の役割というのは、この理解者をひとりでも多く増やしていく事だと思っています。
もちろんだからといって、建築的・医学的側面での調査・研究を妨げるものではありません。
それはそれで私たちが先頭に立ってしっかりやっていかなければいけません。しかし、相談の現場で本当に相談者のために役立つのは、精神的なサポートであり、具体的には、相談者の周囲に日常的精神的拠り所を確保できるかどうかにかかっています。相談現場におけるシックハウスアドバイザーがまずやらなければならない事の第一は、測定でもなく、知識をひけらかす事でもなく、リフォームを提案する事でもありません。
「相談者の気が済むまでトコトン話を聞く。」
それに尽きます。それができれば後は何もできなくても良いとさえ思います。
今すぐの救いを必要とする相談者には、まず、その鬱積した思いを吐き出させる事が必要なのです。
それが信頼のスタートではないでしょうか。まず、自分が理解者となることです。
これを自身の身を持って私に教えてくださった方がおられます。
そう。
先に書きました、自殺幇助事件の当事者の方です。
彼は私に必死になって、“分かって欲しい”“伝えたい”という強い意思で心のうちを語ってくださいました。
それまでの私はどちらかといえば、情報提供者というスタンスでした。
しかし、インタビュー以後活動の中で、私はただの聞き手=話し相手に変わりました。
彼との出会いが無ければ、今でも私はアドバイザー(先生)として、相談者に対して知識をひけらかしていたに違いありません。今、それを思いますと恥ずかしさでいっぱいです。
今年2月彼はひっそりとひとり息を引き取られました。彼の人生は苦難と困難の最終章でしたが、発見された時は穏やかな表情だったという事です。
シックハウス問題とは何か?
相談者は終わることの無い困難に今日も直面しています。
愛知・岐阜支部 支部長 柘植満
(来月の会報に寄稿させていただきますものを先にこの場をお借りして掲載させていただきました。)
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